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椿海と寺社

辻内刑部左衛門がはじめた椿海干拓事業が完成した後、多くの村々ができました。「最終的に干潟八万石」の新田ができ、18ヶ村(春海・米持・秋田・万力・入野・米込・関戸・万歳・八重穂・夏目・幾世・清瀧・大間手・長尾・高生・琴田・鎌数・新町)が成立しました。

途中多くの農民がこの地に移住し定住すると、その人々のための寺社が必要となってきました。

辻内刑部左衛門の事業のあとを継いだ辻内善右衛門は、幕府に新田内への寺社の建立を願い出たところ延宝6年(1678年)に三社、五ヵ寺の建立が許可されました。

椿海の新田開発の事業が終了したあと、辻内善右衛門は 桑名に戻り鋳物師としての仕事に専念しました。

鋳物技術を子孫に伝え現在に至ります。

辻内刑部左衛門の子孫は江戸に残りその子孫も代々江戸幕府の大工棟梁として活躍し明治維新まで続きました。

椿海新田.jpg

椿湖三社

鎌数伊勢大神宮

千葉県旭市

 

水神社

千葉県匝瑳市

 

高生村八幡宮

現.椿神社

千葉県旭市高生

椿湖五箇寺

福聚山海寶寺

千葉県旭市琴田

東福寺

千葉県旭市萬歳

補陀洛山 福聚寺

千葉県香取郡東庄町

如意山修福寺(廃寺)

瀬戸谷(春海村)

仏日山広徳寺(廃寺)

千葉県旭市鎌数

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写真は、椿新田元締め辻内善右衛門が建立を願い出た

鎌数の伊勢神宮です。

 大明神祈願を受けた御榊と御神札を湖に浮かべ風の吹くまま水の流れるままに流したところ、現在の社殿に近い東方の岸へと流れつきました。この場所から工事を再開すると不思議な事に農民からの反対もなく、また工事の失敗や事故もなく工事が進んだと言われています。

 

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