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​消失作品

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消失した作品

 梵鐘の一部

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宝永三年(1706年)三代 辻内善四郎作の梵鐘

三重県いなべ市 村の火事の時に破損した梵鐘の一部が残されていました。

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稲垣山浄念寺 梵鐘

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亨保九年(1724年)三代 辻内辻内善四郎作の梵鐘

昭和五十五年頃には 存在したと思われます。

三重県いなべ市北勢町阿下喜 浄土真宗大谷派 浄念寺

現在浄念寺は この場所にありません。移転されたか廃寺になったか不明。 残された石垣で浄念寺が偲ばれます。

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 梵鐘 柳山法盛寺

三重県桑名市萱町 浄土真宗

寛保三年(1741年)四代辻内善九郎作 左ページ奥に鐘堂が描かれています。(久波奈名所図会より)

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玉生山長伝寺 喚鐘

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寛保三年(1743年)四代 辻内善九郎作の喚鐘

昭和五十五年頃には 存在したと思われます。

三重県員弁郡東員町北大社 浄土真宗本願寺派

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 梵鐘 神野山浄土

延享四年(1747年)四代辻内善九郎作 神野山浄土

右ページ中程に楼鐘が描かれています。

 三重県桑名市清水町(久波奈名所図会より)

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 梵鐘 不明

初代辻内善平か 二代辻内善平のどちらかの作で明治後半から大正、昭和戦前の製作と考えられます。

銘に「為先祖代々菩提 河藝郡一ノ宮村 

寄進人 橋本一雄 伊勢桑名 鑄工辻内善平とあります。

河藝郡一ノ宮村は 現在 三重県鈴鹿市一ノ宮町になっています。

このあたり一帯のお寺の梵鐘は 戦時中の供出によりほとんど現存しておりません

この作品も供出され現存していないと考えられます。

またどこのお寺に寄進されたものかも不明です。写真は完成時のものと推測されます。

・喚 鐘 寛正六年(1466年)辻内丹後守藤原家清作 最初長野県上田の望富山 陽泰寺にあったが後に武田信玄により諏訪の歓喜院往来寺に戦勝祈念として奉納された。

 

・梵 鐘 寛文八年(1668年)辻内善右衛門作 櫻岡山西勝寺 三重県四日市市智積 供出口径七六糎 乳五段五列初期の梵鐘中 最も傑出したもので鐘形・竜頭・撞座・上帯・草町模様・乳等申し分のない作であったと云われています。

・梵 鐘 天和三年(1683年)辻内善右衛門作 長嶋山安養寺 三重県鈴鹿市箕田 供出

 

・梵 鐘 宝永三年(1706年)三代 辻内善四郎作 敬善寺 三重県いなべ市藤原 火事消失

・梵 鐘 亨保九年(1724年)三代 辻内善四郎作 稲垣山浄念寺 三重県いなべ市北勢町阿下喜     廃寺口径七十糎 鐘身九十二糎 乳六十四個 銘文タガネ彫

・梵 鐘 元文三年(1738年)四代辻内善九郎作 正念寺 三重県桑名市今一色

・梵 鐘 元文三年(1738年)四代辻内善九郎作 歸帆山䑳宗寺 三重県桑名市寺町

梵 鐘 寛保一年(1741年)四代辻内善九郎作 柳山法盛寺 三重県桑名市萱町

喚 鐘 寛保三年(1743年)四代 辻内善九郎作 玉生山長伝寺 三重県員弁郡東員町北大社口径 三六糎 鐘身 四七糎半 乳三段 四段 四八個 

梵 鐘 延享四年(1747年)四代辻内善九郎作 神野山浄土寺 三重県桑名市清水町

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・大 砲 嘉永三年(1850年)三代辻内善四郎作 今一色町の御用控え記載

・梵 鐘 明治元年(慶応4年.1868年)三代辻内善四郎作 寛亀山信行寺 三重県津市白塚町

・擬宝珠 大正二年(1912年)辻内善平作 納入先不明(辻内商店出納帳より)

・不 明 大正十五年(1925年)  辻内善平 泉福寺 桑名市泉

・不 明 製作年不明  辻内善平 寺不明 河藝郡一ノ宮村(現 鈴鹿市一ノ宮町)

 

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